観石万歩   三角点の豆知識
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三角測量と一等三角点網
 ここでは三角測量の方法と、日本地図の骨格ともいうべき一等三角点網について説明する。

○三角測量とは
 三角関数の原理を利用して、距離を計測する方法を三角測量という。具体的には、正弦定理と余弦定理で、簡単に測量することができる。
 正弦定理(せいげんていり)
正弦定理                 

1辺と2角が分かれば三角形を確定できる
 三角形の内角の正弦(サイン)とその対辺には、次の関係が成り立つ。
    
 この定理を変形すると
    
 つまり、1辺(c)と2角(AとB)が分かれば、辺(a)と辺(b)を計算することができる。
(計算例)
    
 余弦定理(よげんていり)
余弦定理                 

2辺と内角が分かれば三角形を確定できる
 三角形の辺の長さと内角の余弦(コサイン)の間には、次の関係が成り立つ。
    
 つまり、2辺(aとb)とその内角(C)が分かれば、内角の余弦である辺(c)を計算することができる。

○日本地図の骨組み(一等三角点網)
 日本地区の作製にあたって、まず大まかな骨組が作られた。平均45qの一辺を持つ一等三角点網だ。
 基線と増大辺
 三角測量では、最初の1辺は実測しなければならないが、45qもの直線距離を実測することは不可能だ。また、正確な三角測量を行うには、正三角形に近い三角形が必要だ。そのため、実測可能な数qの基線を設置し、そこから三角形を作り、組み合わせる方法(増大)により、数十qの正確な距離を測量した。
@A点とB点の間を実際に計測して基線ABを作る。
AA点とB点からC点を測量し、三角形ABCを確定する。
BA点とB点からD点を測量し、三角形ABDを確定する。
C2つの三角形を組み合わせ、三角形ACDを確定することで、増大辺DCが求まる。
DC点とD点からE点を測量し、三角形CDEを確定する。
BC点とD点からD点を測量し、三角形CDFを確定する。
C2つの三角形を組み合わせ、三角形CEFを確定することで、増大辺EFが求まる。
 相模野基線
 1882年(明治15年)、日本で一番最初の基線が、相模原の下溝村と座間村に結ばれた。基線の長さは、5209.9697mだった。この基線から日本全国に三角点網が作られていった。
 相模野基線の場合は、3次まで三角形の増大が繰り返され、76qの正確な距離が測量された。
相模野基線の増大
@下溝村(基線北端)設置
A座間村(基線南端)設置
B相模野基線(約5q)実測
C鳶尾山(1次増大点)設置
D長津田村(1次増大点)設置
E1次増大辺(約14q)計算
F連光寺村(2次増大点)設置
G浅間山(2次増大点)設置
H2次増大辺(約37q)計算
I丹沢山(3次増大辺)設置
J鹿野山(3次増大辺)設置
K3次増大辺(約76q)計算
 一等三角点網
 相模野基線に端を発した一等三角点網は日本全土に広まった。はじめ一等(本点)を約45q間隔で設置して大体の間隔を定め、ついで一等の補点(本点を含めて約25q間隔)の測量をして一等三角点網を完成させた。
 なお、基線は全国に14か所設置され、そのれぞの網が重なる地点で誤差が調整された。

全国の基線

@相模野(神奈川県) 1882年
A三方原(静岡県)   1883年
B饗庭野(滋賀県)   1885年
C西林村(徳島県)   1887年
D天神野(鳥取県)   1888年
E久留米(福岡県)   1889年
F笠野原(鹿児島県) 1892年
G塩野原(山形県)   1894年
H須坂(長野県)     1896年
I鶴児平(青森県)   1898年
J札幌(北海道)     1900年
K薫別(北海道)     1903年
L声問(北海道)     1908年
M沖縄(沖縄県)     1911年
 日本地図の作成には一等三角点網は粗すぎるので、一等三角点を含めて約8q間隔に二等三角点を設定し、以下二等三角点を含めて約4q間隔に三等三角点を設け、更に以上を含めて約2q間隔に四等三角点を設けて、各三角点から地形を20mの等高線に描写して地形図が作成された。
 近畿の一等三角点網
大阪周辺の一等三角点
比良ヶ岳(滋賀県大津市)
比叡山(滋賀県大津市)
地蔵山(京都市右京区)
鷲峰山(京都府宇治田原町)
泉原山(大阪府茨木市)
大浜公園(大阪府堺市)
俎石山(大阪府岬町)
葛城山(大阪府岸和田市)
金剛山(奈良県)
生駒山(奈良県生駒市)
千丈寺山(兵庫県三田市)
六甲山(神戸市北区)
雄岡山(神戸市西区)
釜口山(兵庫県淡路市)
諭鶴羽山(兵庫県南あわじ市)
友ヶ島(和歌山市加太)
  :本点  :補点 
 三角測量の機材
 三角測量には、測量地点を示す三角点標石・盤石、角度を測定する経緯儀を用いる。ただ、数十qもの先の測定をする場合、地面の三角点標石を見定めることができないので、覘標と呼ばれる測量櫓を建て、視界を妨げる木々を伐採しなければならなかった。

三等経緯儀

覘標
カール・バンベルヒ三等経緯儀(けいいぎ)
 ドイツ製のこの三等経緯儀は最小読み取り角度が2秒で、水平角と高度角の両方が測定できた。新田次郎の小説「劒岳」で有名な柴崎芳太郎測量官が剱岳測量の際に用いた。


覘標(てんぴょう)
 覘標は観測の目標としての目印で、三角点標石上に建てられる櫓(やぐら)で、相手の三角点が見通せるよう二階建てのものもあり、ときには30mもの高さにもなった。


運搬
 経緯儀は三角測量の中で最も重要な機器で、振動を与えてはいけないため常に人力で慎重に運搬された。運搬箱を含めた総重量は約60kgもあり、重い重い標石や盤石、そして覘標用の材木や食料などの運搬には、ヘリコプターやジープのない時代、相当苦労したようだ。

経緯儀の運搬

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